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新聞に載らない内緒話

けっこうおちゃめな比嘉監督

 沖縄尚学の9年ぶりの優勝で幕を閉じた今年のセンバツ。決勝で完封した東浜巨投手もすごかったが、なんといっても「選手でV、監督でもV」という偉業を成し遂げた比嘉公也監督が話題になった。キリリとしたまゆに、鋭い目つき。ベンチでの落ち着きぶりに、思い切ったさい配。甲子園での26歳の青年監督の株は上がりっぱなしだった。
 比嘉監督は実際に取材してみると、ベンチでのコワイ顔はどこへやら。親しみやすい26歳の青年だった。
 ある試合の前日、取材を受けた比嘉監督は「投手も疲れているし、次は打撃で『5点取れ』と言っているんです。勝ためには5点取らなきゃダメだぞと言いました」と話していた。そこで記者の質問を受けた。「監督、なぜ5点なんですか」。そう聞かれた比嘉監督は少し困った顔をして言葉に詰まった。
 「イヤ、別に理由はないです。なんとなく」。
 百戦錬磨の監督ならば、あれこれともっともらしく理由を言うところだが、カッコつけることもなく相手の質問に誠実に答えようとする姿勢が好感を集めた。
 優勝の翌日は沖縄への凱旋(がいせん)までお供した。学校での優勝報告会の後の取材時間も終了し、15日間にわたるおつきあいもこれで終了。「お世話になりました。また夏の大会前に取材にうかがいます」と最後に比嘉監督にあいさつした。「ぜひ、またグラウンドに来て下さい。あのときはすみませんでした」と比嘉監督。
 「あのとき」とは今年1月、センバツ出場校発表の翌日、学校のグラウンドに取材にうかがったときのことだ。そのとき、ノック中に野手の送球がそれて、ボールが私の左足に直撃。投げた選手ととり損ねた選手がドドドーっと駆け寄ってきて「すみません、すみません」と必死で頭を下げてくれた。本当は涙が出そうに痛かったのだが、心配そうに頭を下げる選手の手前、痛そうなそぶりもできない。「痛くないから、大丈夫、大丈夫。じゃまになってごめんね」と笑って言った。
 比嘉監督はそのことを覚えていてくれたらしい。「ぜひ、また練習を見に来てください。前田さんにボールが当たったら、またツキが来ると思うんですよ」。
 オイオイオイ!
 けっこうおちゃめな面もある比嘉監督。ボールに当たるのはもう遠慮したいが、夏もまた甲子園で取材できたらいいと思う。

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新聞に載らない内緒話

新入社員諸君!

 まだ大学生だった頃(高校生だったかな)、4月1日の新聞を開くと1ページをまるまる使った、作家の山口瞳さんのコピーが目に飛び込んできました。「新入社員諸君!」と題したサントリーの広告でした。もちろん私は、新入社員ではありませんでしたが、そのコピーは妙に心にしみいるもので、切り抜いて保存した記憶があります。ずいぶん昔の話で、その切り抜きもどこへいってしまったか、皆目わかりませんが、ふとあの時のコピーに出会いたくてネット検索をしてみました。便利な世の中で、いくつかがたちまちヒットしました。以下の文章は「新入社員諸君!」とは別物ですが、「少年達よ、未来は」と題した山口 瞳さんの作品です。年度替わりのこんな時期、ふさわしいのではと、引用してみます。
                 
 私が会社に勤めて月給を貰うようになったころ、そのとき私はまだ二十歳だったのですが、私の先生にあたる人と一緒に、ある会場に行くということがありました。 
 駅で切符を買い、改札口を通ったときに、電車がプラットフォームにはいってくるのがわかりました。駆け出せば、その電車に乗れるのです。すこし早く歩いたとしても乗れたと思います。周囲のひとたちは、みんな、あわてて駆けてゆきました。
 しかし、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。私たちが階段を登りきってフォームに着いたとき、電車はドアがしまって、発車するところでした。駅には、乗客は、先生と私と二人だけが残されたことになります。
先生は、私の気配や心持を察したようで、こんな意味のことをいいました。
 「山口くん。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。…それに第一、みっともないじゃないか」
 私は、この言葉に感銘をうけました。
 何かの事件が起こる。乗り遅れまいとして、ワッと飛びつく。そのために自分の歩調を乱す。それはミットモナイことなのだ。そんなふうにも解釈したのです。目的地に達するための電車が来る。駆け出せば、それに乗れる。そういう事態は、その後の23年間に何度もありました。
 そのたびに、私は先生の言葉を思い出しました。私は教訓的なことを言うつもりはないのです。ナーニ、5分も待てば次の電車が来るのです。先生と私以外の乗客は、みんな、前の電車に乗ってしまいました。先生と私は次の電車に乗りました。その電車は空いていて、悠々と座ることができました。私は、なんだかよくわかりませんが、あッそうかと思ったのです。
少年たちは、自分の未来をどのように想定しているだろうか。あるいは、現在の世の中をどう見ているだろうか。私には非常に興味があります。
 Aという地点からBという地点に到達するには、さまざまな道があると思っていただきたい。AからBに行くために、いったんCに寄ってみることも可能なのです。
 あるいは電車を一台やり過ごしてもBという目的地に達することができます。AからBに直線的に進むというのが、少年や青年の特徴であるかもしれない。私には、実のところ、少年達が自分の未来像をどのように想定しているかということがわかりません。人によって千差万別でもあるでしょう。
 しかし、私の経験からいうならば、ただひとつ、アセッテハイケナイということだけは言えると思うのです。焦る必要はない。
 そうして私は、ストレートに社会に出てきた青年たちに、ある種の脆さを感ずるのです。脆いところの青年達は、同時に絶えず、身を立て名をあげるために焦っているように見受けられるのです、近道反応が目立つのです。
 もう一度、言いましょうか。
 人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。
 しかし、いま目の前にいる電車に乗らなければならないというほどに短くはない。

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新聞に載らない内緒話

温泉小学校再訪
           
 3月19日は、なんとも落ち着かない日だった。
 午前10時過ぎ、テレビに速報が流れた。秋田県藤里町の連続児童殺害事件で、畠山鈴香被告に無期判決が下された。裁判で言えば札幌地裁の、こちらは食肉偽装事件で、食肉製造加工会社「ミートホープ」の元社長・田中稔被告に懲役4年の実刑判決が言い渡された。さらに昨年4月、伊藤一長・前長崎市長が選挙事務所で射殺された事件の論告求刑がこの日、長崎地裁で行われ、死刑が求刑されている。いずれも世間を騒がせた大事件で、なんともやるせない気分にさせられる。
 一方、政治経済では日銀総裁が戦後初の空席になるなど、この国の政治屋どもの馬鹿げた混乱が続いている。株価は1万2000円台を回復したものの、円高基調には変化がない。
 私といえば前夜の深酒がたたって、赤ら顔にズンズンと痛む頭を抱えて、JR東海道線に飛び乗った。小田原駅で下車、バスに乗り換えて箱根町立温泉小学校に向かった。前回の、このコラムで紹介したこの小学校の「お別れ式」に出席するためである。スポーツ新聞の人間が何とも場違いな場所に招待されたものだが、これも昨年この小学校を舞台にした連載記事を書いたのが縁(えにし)になっている。ご多分に漏れず、少子化、過疎の波を受け、温泉小学校が135年の歴史を閉じる、その現場に立ち会おうというわけである。
 「よく来てくれました」と校長先生、教頭先生の出迎えを受けた。「こっちへ来てください」と手を引っ張られ出向いた部屋は、この学校の歴史を伝える手作りの資料室。明治6年(1873年)5月にお寺を仮校舎として前身が開校、その歩みが一覧されている。その入り口に私の拙稿がコピーで拡大され張り出されていた。招待状を受け取ってから、なにやらこの小学校を再訪するのが楽しみで、前述の、ひどい二日酔いは、前夜からこの日の到来が楽しみで、嬉しくて飲み過ぎたゆえである。
 式は淡々と進行した。在校生徒、学校関係者らだけではなく、白髪の老若男女が会場となった体育館に続々と詰めかけた。明治の開校から3代、4代と続く、みんなかつての在校生たち。手渡された卒業生全名簿に目をやる。修了証書(卒業証書)は明治16年4月20日の支校時代から綿々と、無名人たちの名前を刻み込んでいる。尋常小学校、国民学校、時には疎開先学校として、村立、町立と形態を替え、学校はこの町に息づいてきた。今年度の卒業生は7人、最後の修了証書番号は1905番になっている。
 児童37人による挨拶。学校生活の四季を、思い出を、まるで詩を読み上げるようにして代わる代わる、声変わり前の、ソプラノで、あるときは朗読し、ある時は歌い上げた。顎をあげ、体育館の天井を見据え、その声は突き抜けるかのような勢いがあった。久しぶりに聴く、高音の合唱が心地よかった。
 来年度からはスクールバスによる登校になるんだろうな。ちょっと遠い学校まで通うことになるのだろう。どうか交通事故に遭わないように。新しい環境に負けないで、新しい生活になじんでいってもらいたい。
 空は午後になって本格的な雨になった。周辺の、箱根の山はけぶり、体育館にはストーブが設置されて、真っ赤な炎をあげた。

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パウエルの素顔を実感

 これが本当の素顔だと実感した。3月9日の西戸崎室内練習場(福岡市東区)。練習を終えたジェレミー・パウエル投手(31)が報道陣の取材に応じた。フラッシュの放列も、突き出されるマイクもない数人の囲み取材だったが「ここでいい?」「お疲れ様」と笑顔交じりに日本語で話した。これまで、一連の騒動の中で間近に見たパウエルは、鉄仮面という表現がふさわしい不機嫌な表情だった。人間味があるのは怒りに満ち、ほほを紅潮させるときだけ、という印象だった。

 紆余(うよ)曲折を経て、パウエルのソフトバンク入りが決定した。パ・リーグ連盟の「二重契約」という指摘から始まった問題は、根来コミッショナー代行の要請で、ソフトバンク、オリックスの支配下選手登録申請をともに不承認とし、あらためてパウエルと契約合意した球団の申請を受け付けるというものだった。ソフトバンクは一貫して「二重契約」と判断された契約の正当性、事実究明を求めてきた。根来代行は白黒をはっきり打ち出すことはなかったが、本人の意志を尊重する形で、迷走するこの問題を軟着陸させた。
 一時、球団は民事裁判による決着も模索した。それほど「二重契約」の汚名返上に躍起だった。もちろん、パウエルの名誉回復の意味合いも強かった。結果的に疑惑を完全に晴らすことはできなかった。ただ、パウエルは希望通り、ソフトバンクに出場停止期間もなく入団した。不思議だったのは、その後の球団の対応だった。
 入団決定後、ガトームソンら他の外国人投手にパウエルの質問をすることは、球団からタブーとされた。球団広報は「外国人選手がナーバスになっている」と説明したが、競争原理が生まれる外国人投手6人制は、その球団が方針を決定したはずだ。王監督も「外国人の競争が激しくなった。いすが決まってるのとそうでないのでは調整も違ってくる」と、その効果を認めている。パウエルには「オリックス」の質問を封印しようとする。パウエルのあの笑顔が、また違う形で消えるかもしれない。

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