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新聞に載らない内緒話

「仙台へ行ってくる」  
              
相変わらず安酒場で呑んでいる。仕事を終えて店に入ったのは日付も代わったころだった
 人影のない店内に、ぬうっと大男が入ってきた。こちらの存在に気がつくと、擦り寄ってきた。
 「しばらく、この店には来れないようだ」。
 安酒場の常連である。秋田の出身で、東京に出稼ぎに来ている。水道管工事が専門で、仕送りは日当が頼みである。高校時代は硬式野球部で、甲子園ベンチ入りメンバーの補欠になったとかで、さすがに体は大きく、たくましい。
 「おまえさんのところも、被害にあったんか」
 と、答えたら
 「そうじゃない。仙台に行くんだ」。
 合点がいった。水道の復旧工事に駆り出されるのだ。
 「昨日、行政から会社に応援要請が入ってね。同じ東北だし、(復旧)メンバーに手を挙げた。近いうちに、仕事の手はずがわかるはずだ」。
 彼は2007年(平19)の新潟・中越沖地震でも現地で働いた。
 「あの時、1日30分しか眠れなかった。それくらい忙しかった。半月ほど長岡のプレハブで過ごしたんだ」。
 現場に到着し、穴を掘る。1本あたり、長さ5㍍の水道管は、それぞれ32本のビスで連結されている。それが地震の地殻変動でスポンと引き抜かれ、日本海側へ20㌢ほどの隙間が出来ていた。ここから水が漏れる。ここに新たな配管をつないで修復する。
 「修理が終わって水を通す。すると5㍍先で水が噴き上がる。アスファルトが水圧でズンと盛りあがるんだぜ。そこも水道管が引きちぎれているわけだ。だから同じことを繰り返す。穴を掘る、つなぐ…。それの繰り返し。だから寝る間もない」。
 高校時代に痛めたヒザと腰は季節の変わり目にうずき、すでに持病になっている。先日も病院へ行ってきたばかりだ。
 「まぁ、行ってくるよ。同じ東北人だしな。向こうへ行ったら酒も飲めないだろうよ」。
 そう言って、1杯250円の焼酎を飲み干した。

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新聞に載らない内緒話

クライストチャーチ…               

会社に着いて、編集局に入ったら臨時ニュースが流れていた。2月22日の午前、10時をまわったころである。
 ニュージーランド南島で大地震だという。時差は4時間、現地は午後2時過ぎであろう。詳報が無いからパソコンを開き、現地新聞社の速報を検索した。
 「クライストチャーチ」―。
 ひやりとした。長女がつい2週間前まで、長く滞在していた土地である。
 なんの気まぐれか、クライストチャーチを離れ、バスに揺られること10時間。南島の南部地方、テ・アナウという町に落ち着いたと、連絡を受けたばかりだった。
 転居の理由を「気まぐれ」と書いたが、もうひとつの背景に仕事場がなかったという事情がある。ニュージーランドの完全失業率は2010年(平22)が6%超、同年の日本の5・1%を上回る。国内の人間が就職に苦しむご時世に、外国人の長女が、たとえアルバイトとはいえ、働き口が無いのは当然であろう。
 日ごろは本人のずぼらもあって、こちらからメールを送っても、電話をかけても、音信不通。時折思い出したように連絡をしてくる程度だから、たいがいのことでは驚かないが、珍しく転居を伝えてきたのは幸いだった。この情報がなければ、慌てふためいていたはずである。
 「こちらは全く揺れなかった。でも、クライストチャーチでの、友達にメールをいれたけれど、数人返事が来ていない」と低い声で話した。日本人ではなく、現地で知り合った中国、韓国、フランスなどからの留学生だという。
 長女がクライストチャーチを離れようとしたら、しきりに引き留めてくれたが、決意が固いと知るや、送別会を開いてくれたという。その彼らの数人も一時、音信不通だった。
 現地までの交通手段を探したが、寸断され行き着けない、とも話した。
 美しい町だそうだ。以前、写真を国際郵便で送ってきた。日本では見たこともない、長女の、飛び切りの笑顔が、この町のすべてを物語っているようだった。
 日本人の被災も伝えられている。「現地が落ち着いたら、私、クライストチャーチに行ってみる。自分の目で見届けてくる」。
 町の象徴だった大聖堂の、尖塔(せんとう)は崩れ落ち、残された建物は口を開けた牛乳パックのように見える。長女が初めてこの土地に着いた時、真っ先に訪れた場所である。
 当初は今年6月までこの地にとどまり、さらにオーストラリアに向かうはずだった。ただ、それも諦めたようだ。町の崩壊があまりにもショックだった。6月まで目いっぱい働いて金をため、帰国のための航空運賃以外は、クライストチャーチ復興のために寄付する、と話した。

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