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新聞に載らない内緒話

夢を歩く

休日、日課は散歩である。
自宅周辺を歩く。多摩川の土手に季節を味わい、気が向けば羽田空港まで出向き、遠く房総半島を望み、飛来する航空機をながめている。
 時折家人らと歩く。せっかちな性格からか「追いつけない」と文句を言われる。歩くのが速すぎる、というわけだ。もっともそれは若い頃の話で、先日通勤途中で気が付いた。会社の、最寄り駅まで2駅ばかり、銀座の町並みを歩くのが常なのだが、行き交う人々に次々と追い抜かれる。ペースを変えたつもりはないが、寄る年波? で歩行速度が落ちているらしい。追いつこうとペースを上げるのだがこれが辛い。息が上がる。
 都会人はかなりのスピードで歩いている。
 精密な日本地図を作った伊能忠敬は2歩で1間(約1・8㍍)を正確に守り、そのためには路上の犬糞も避けぬ、文字通りの愚直さで日本中を突き進み、実測して歩いた。その歩数4千万歩。17年をかけ、その距離3万5千㌔はほぼ地球一周にあたる。
 下総佐原村の婿養子先・伊能家を再興、50歳で隠居するや天文学を学び、56歳で蝦夷測量に出発した。74歳で亡くなる1818年(文化15年)まで晩年を除いて、一年の休みもなくひたすら歩き続けた。その像は東京・江東の富岡八幡宮にみえる。
 もう1人―。
松浦武四郎は三重・松阪の人。7歳の、江戸への一人旅から全国各地にその足跡を残し、28歳からは国防の危機にさらされていた蝦夷地を6回にわたり調査した。探検家、作家・地理学者・画家・博物学者として多彩な顔を持ち、明治新政府では先住民であるアイヌの人々の文化を尊重、擁護し、中央を弾劾し、「北海道の名付け親」と呼ばれた。
その業績である「蝦夷大概之図」(嘉永3) 「蝦夷変革図」(嘉永4年)「千島一覧」(明3)らに見える細密な等高線や等深線は、自ら踏み締めた、無数の、点の集合体であろう。
終(つい)の棲家はわずか一畳。全国各地の有名な社寺仏閣から集めた古材で組み立てたそれは人間がスッポリ収まる空間で、彼の全宇宙はこの一隅で十分だった。「一畳庵」は東京・三鷹市の国際基督大学敷地内に移設されている。
「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない。 願望は寝ても覚めても忘れるな」
 伊能忠敬の言葉である。
 と言うわけで、定年間際の凡夫は今日もまた歩く。その歩みはいかにも心もとないが、忠敬の言う「夢」さえ忘れなければと、細いすねをさすっている。

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