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新聞に載らない内緒話

幸せの由来
              
 日曜日の朝。スピーカーの、ふれ回るアナウンスで目が覚めた。
 「新聞、雑誌、空き缶の回収を行います。玄関前に出しておいてください」
 町内恒例の廃品回収で、毎月第一週の日曜日に行われるのだが、一月は正月休みの関係もあり、月半ばにずれ込んでいる。
土日を休めるようになった数年前から、この回収を手伝うようになった。ボランティアというほど大げさではなく、父親の代から65年ほど住み着いたこの地で、少しは地元貢献でも、という殊勝な心掛け? である。
 これまで、仕事にかまけて町内の仕事は全て家人に押しつけてきた。気が付くと、町はお定まりの高齢化で、鈍重な空気は亀のそれのようである。無趣味の男がこの町で生き永らえるには、今のうちに地元での、人間関係を再構築しておく必要がある。定年という時期を迎えて、そんな打算も働いたのかも知れない。
少しは景気が良くなったのであろうか。正月の祝い酒か、ビールの空き缶が例年になく山ほど出た。圧縮機を使って潰してもビニールの大袋に37個、新聞は小紙を含め(結構読者のいることが分かっただけで収穫である)、業者のトラックに2台分。「古紙の引き取り額がキロあたり2、3円上がったらしいよ」と長老がつぶやく。ささやかな収入ながらこの収入は祭礼の、子供たちのお菓子代、運動会の協賛金、羽根突き大会の景品など町会の活動費へと化ける。
作業が終わると、町会会館で新年会が行われた。地元商店から購入したおにぎり、サンドイッチ、酒などが振る舞われる。〝地産地消〟というわけだ。勧められた酒を拒むわけもなく、午前中からいい調子になってふと時計を見ると正午前である。
慌てて自宅へ戻り、正月飾りを手に多摩川の土手へ酔い覚まし。河川敷で「どんど焼き」が催される。平安時代からの伝統行事だと主催者は自慢げに、うずたかく積み上げられた門松、松飾りが点火され、火柱が天をつく。竹の、パンパンと爆(は)ぜる音が透き通った空気をふるわせて心地よい。
甘酒とお汁粉が振る舞われ、長い行列に並んでいるうちに、火も鎮まり、竹ざおの先にサツマイモをぶら下げた子供たちが焼き芋作りに歓声を上げる。
一月半ばの、晴天の日曜日。十五日の小正月が終わり、大寒を経て、亀戸天満宮のうそかえ神事と続く。もうすぐ、近くの梅園からは梅の便りも届くであろう。
 霞たちこのめも春の雪ふれば花なき里もはなぞちりける
 紀貫之の歌ものどかに三寒四温、いずれ桜の春が来る。
 年明けの恒例行事が粛々と、一方で変哲のない一日が静かに流れてゆく。幸せとは、こういうことなのだろう。冬のぬくもりの中、安堵している。

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新聞に載らない内緒話

45年ぶりの再会
              
 彼は小学校近くの、水色の、トタン屋根のアパートの2階に住んでいた。本来、青空を連想させるはずの外観はすでに赤銅色のまだら模様で、玄関に踏み入れると6畳ひと間で、兄と2人で生活していた。両親の姿を見たことはなかった。
 兄は線路脇の小さなレコード店で働いており、そこは国内外の、最新の音楽で埋まっていたから、場末の町の、大げさに言えば、文化の「窓」といってもよかった。
 兄弟の、人生の〝頼み〟はたった1本のギターで、ともに抜群のテクニックで周囲を驚かせたが、私とバンドを組んだ、同級生の弟は軽く兄を凌駕(りょうが)した。
 中学3年、であったか。よく学校をさぼって新宿南口にあったライブハウス・アシベ(現在は歌舞伎町にあるらしいが)に出掛けた。すでにプロを意識していたのだろう、彼はいつもギターを携え、ステージのかぶりつきで身を乗り出した。
 まだ沢田研二も萩原健一も前座扱いで、ステージのトリはエレキの神様、寺内タケシだった。ある日、意を決して彼は楽屋に飛び込んだ。パンツ一丁、マネージャーにウチワで風を送らせていた寺内タケシに「聴いて下さい!」と土下座した。そんな飛び込みも珍しくなかったのだろう。苦笑いを浮かべたが、あっさり了承した。弾き出したのは当時、寺内タケシが編曲して話題を呼んだベートーベンゆかりの「レッツゴー運命」である。
 アンプもなく、鉄弦の乾いた金属音、シャッ、シヤッという鋭利だけが楽屋に響いた。
 「お前、いくつだ」
 「中3です」と答えると「卒業したら俺の所へ来い」。これが演奏を聴き終えた、寺内タケシの返事だった。
 以後、私は高校に進学し、彼はプロの道を歩んだ。何かの拍子にテレビで、彼がバックバンドで演奏する姿をみとめた気がするが、その後、〝H〟という通好みのバンドが評判を呼んでいると聞いたとき、ひょっとしたらと思ってみたりもした。
 最近、彼の消息が分かった。〝H〟は彼のバンドで、しかし交通事故に遭い一時期引退していたようである。
 かつてのファン向けライブをやると聞き、12月初旬、六本木のライブハウスに足を運んだ。45年ぶりの再会になる。早めに到着し、音合わせ中の姿を見たとき、中学時代の面影は無かったが、笑った時のエクボで確信した。
 「K!」と声を出したら一瞬、けげんな表情を浮かべたが、「S中学の俺だよ」と問い掛けたら目を丸くして手を伸ばしてきた。
 4時間、久しぶりに全身音まみれになった。中学時代、教師に「不良!」と名指しされたが、それでも自分の道を貫いた彼が誇らしい。国内屈指のギタリストは事故の後遺症で、少々足を引きづったが、天賦の指さばきはネック上で健在だった。

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