カレンダー
03 | 2015/04 | 05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
Facebook
最新の記事
プロフィール

加藤 利教

Author:加藤 利教
Katoh's Roomへようこそ!

カウンタ
カウンタ2
現在の閲覧者数:
ブログ検索
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

新聞に載らない内緒話

合掌、黒猫
 
 隣家とを隔てる塀の上を器用に渡って、庭のカエデに飛びついた。枝をしならせジャンプすると、わが家の庇(ひさし)にヒラリ着陸。2階のベランダに棲みついた。
 数年前、やって来た真っ黒な牝猫である。
 根っからの野良で、人が近づくと身を翻してどこかへ消えた。シャーッとうなる。餌を与えてもそっぽを向くくせに、翌日にはキチンとたいらげてあった。
 黒猫は魔女の使い、不吉の象徴とされた。
 もっともわが家の黒猫はさしたる災いを運び込んで来ることもなく、いつの間にやら家人の手によって家猫となり、室内を歩き回るようになった。
 ただし、なついたのは家人だけで、私も子供たちも視界の外であった。
 新選組一番隊長・沖田総司が亡くなったのは慶応4年(1868年)5月30日といわれる。亡くなる2日前、この家の庭に黒猫がやってきた。どこから迷い込んだのか、寝床の周りをうろつく。めったに悪態をつかぬ男が、この時ばかりは露骨に嫌悪した。黒猫の顔つきが気に入らないと言うのである。
 黒鞘の刀を引き抜き、重い庭げたを捨ててはだしになり、黒猫に忍び寄り、切ろうとしたが、2日続けて失敗し、死の当日、
 「今日もあの黒い猫は来ているだろうかなア」
 そう言って息を引き取った、と「新選組始末記」(子母沢寛著)にはある。
 沖田は胸を患っていた。
 毛並みの真っ黒な、俗にカラス猫という黒猫を、労咳(肺結核)患者が手元に飼っておくと、病が快癒するという俗信が当時、根強く信じられていたようだ。誰かがそっと忍び込ませたのかも知れない。
 わが家の黒猫はほんの1カ月ほど前であろうか、急に衰弱し始めた。足元が怪しくなり、一方の目はヤニが溜まり開かなくなった。自分で餌を食べることが出来なくなり、家人が流動食を作りスプーンで口元に運んだ。徘徊が始まって、ソファとテーブルの間を右回りによろけながら何度も、か細い声をあげ歩いた。おしめをあてがわれ、それでもトイレに向かい用を足し、砂をまぶした。
 いずれお前も、という暗示のようで、天啓であるのかも知れない。
 亡くなったのは、私が私用で家を空けた朝だった。
 片方の目を見ひらいたまま、横たわっていた。抱き上げたら、ぺらぺらの煎餅のようで薄く、軽かった。わが家に出入りする前が何歳であったか分からないが、推定15歳と獣医は言っていたから相当なおばあちゃんであったはずだ。
 両親と姉を祀った仏壇前に、骨つぼがまた増えた。これで5個目である。

スポーツ、芸能情報は日刊スポーツへ。
ご購読申込は朝日新聞飯塚西部販売店もしくは日刊スポーツ販売局0120(81)4356へ

 
スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。