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新聞に載らない内緒話

歌舞伎座新開場
              
 子供の頃、東京はまだ原っぱが潤沢だった。
 背丈を超える雑草が茂り、それをかき分け奥へ奥へと進んだ。台風がくれば巨大な水たまりが出来、子供たちは長靴を脱ぎ捨て、歓声をあげ水しぶきにまみれた。
 終戦直前の1945年(昭20)5月。城南の、自宅一帯は空襲で焼け野原となり、町の象徴でもあった陶器工場は丸焼けになった。工場は戦後移転、その空き地はしばらく焼け野原のまま放置されていた。
 私が小学校に上がる前の風景である。
 昼下がり、がき大将を先頭に分け入った。強い日差しを受け立ち上がる草いきれ。陶器の型であろうか、茶褐色のレンガ状のものがあちこちに散乱し、足元をあやうくした。拾ってアスファルトにこすりつければチョーク代わりになったから、子供にとっては宝物である。
 探検の目的は、この原っぱの一番奥、国鉄の操車場(松本清張原作の映画「砂の器」の舞台になった)近くにある古びた2階建ての、屋敷であった。近所とのつきあいは絶え、それよりなによりも人が住んでいるのかすら不明であった。近所の人間は「町会費をもらいにいったけれど誰も返事がない」とか、「二階の窓に鉄格子が掛かってる」、「夜中にボンヤリ灯がともる」と噂した。
 子ども心をそそる、お化け屋敷なのだ。
 恐る恐る歩を進めると、くだんの屋敷が目前に迫った。周辺は巨木が茂り昼なお暗い。ふと小用を催し、草を分けるとそこに小体な祠が現れた。ギョッとして身構えたがそれでもその脇で小用をたすと突然、祠の屋根瓦がガサッと揺れ、ザッと砂が噴き出した。
 「出たぁ」
 逃げ帰り、母親に報告すると「お稲荷さんに、馬鹿なことをおしでない。お狐にたたられるぞ」と真顔で言った。
 さて4月、歌舞伎座が新開場、こけら落とし。毎日通勤途中に見上げ、その進捗(しんちょく)ぶりを楽しみにしていた。巨大なタワービルが背後にそびえ、それは興ざめだが、しかし劇場正面は見事に復元された。寸分もたがわぬその偉容に目を見張ったが、ただ1カ所だけ以前と異なる風景が現出した。
 正面に向かって右手、「お稲荷さん」が祀られた。以前は歌舞伎座の敷地奥にあったもので人目に触れることもなかった。私も時折道具部屋の塀が開いた時、目撃しただけだ。
 「歌舞伎稲荷神社」。興行初日と千秋楽に、役者や関係者がお参りすることもあるそうだ。ビルの谷間ではお稲荷さんも居たたまれぬ。
日だまりの中、そっと手を合わせた。

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