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新聞に載らない内緒話

1945年11月23日

11月23日はプロ野球にとって重要な日である。終戦からわずか3ヶ月、1945年(昭20)のこの日、戦後初のプロ野球、東西対抗が開催された。
 野球筋の商売をしていながら、この日を忘れていたとは我ながら迂闊(うかつ)としか言いようがない。毎日新聞の11月22日付、「あの日を今に問う」という特集記事が教えてくれた。「まず生き延びる」ことに振り回された終戦混乱時に、ともすれば娯楽とも受け取られかねない「野球」を忘れなかった、あまたあったであろう復興政策のひとつに「野球」が組み込まれていたことに、「夢」を忘れなかった日本人を想う。
 集まったのは東西7球団33選手、神宮、桐生新川、西宮で4試合を行い、入場料6円を払った神宮第1戦の有料入場者は5878人だった、と記事は伝えている。戦後プロ1号はミスター・タイガース藤村富美男のランニング本塁打だったが、この4試合でやはり特筆すべきは、その後川上哲治の「赤バット」とともに球趣を盛り上げた「青バット」大下弘の活躍だった。第1戦が6打数3安打5打点、第3戦は3ランを含む4打数3安打6打点。描く放物線こそプロ野球の、未来への架け橋だった。
 豪放磊落、芸者置屋から球場通い、と派手な横顔ばかり伝えられる大下弘に「大下弘日記 球道徒然草」(1980年11月、ベースボールマガジン社刊)という著書がある。数年前、神田の古書街で偶然見つけた。もはや絶版と思われるが、都立日比谷図書館に蔵書として登録されている。野球に対する、チームメイトに対する思いは生半可ではない。書き手としての新聞、評論家にも辛辣、いやあふれる情熱を認(したた)めている。いささか長いが一部、引用したい。(原文のまま)
 「吾等は最後の一戦迄全力を尽くし努力する事だけがプレーヤーに課せられた責務なのだ。机上の空論だけで? オマンマが食へる身分とは違ふんだと腹が立つ。骨身をけづる想いをして勝利の美酒を汲みとらんとする吾等に対して余りに心なげな独りガテンの批評を書いて欲しくない。書くのが商売だって? 書かなきゃ食えないって? 解るよその気持ち。悪いとは云えない。併しもつとプレーヤーの身にもなって書いて欲しい。星の数ほどあるライター諸氏の中、幾人がほんとにプレーヤーの親身になって記事を書いている者が居るか? …と。プレーヤーと倶にある評論家。吾等は期待する。真にスポーツを理解する評論家出でよ、と。プレーヤーの真の味方となる評論家を吾等待望す」
 「たかが野球選手なんだ」と自ら言い放つ一方、日記にしるされた激烈なこの思いが戦後の日本プロ野球を支えた。11月23日は私にとって、「自戒」の日かもしれない。

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