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新聞に載らない内緒話

近藤貞雄が死んじまった

新年早々の訃報である。1月2日午前9時22分、近藤貞雄死去。享年80歳。中日、大洋、日本ハムで指揮を執った、その人。
 非常識を承知の上で書くならば「オッさん、死ぬ日を間違えたな」ということになる。本来ならば元日に死んで、世間をアッと言わせたかったろう。どこまでも大向こう受けを狙う、けったいなオッさんだった。なにしろ見栄っ張りだ。それは後述する。
さて、1984年(昭59)暮れ、私は横浜大洋(当時、現横浜)の次期監督に「近藤貞雄」と原稿を打った。大当たりの特ダネで、長嶋茂雄就任の噂を一蹴することになった。記事を掲載した新聞を片手に、意気揚々と自宅を訪ねた。東京は目黒、細い路地を入った突き当たりに…と見ると自宅前にBMWの新車が。当の本人はディーラーと買い換え交渉の真っ最中。確か水色の、塗装も剥げかかったサンダーバードが愛車のはず。まだ球団の正式監督就任も発表もされないうちに、契約金を見越しての所行である。「さっそく新車ですか」と冷やかしたら、さすがにばつの悪そうな顔を見せたが、「東京で監督をやるんだ。このくらいの車に乗らにゃ」とのたまった。家には絶対上げなかった。兎小屋も恥ずかしくなる小さな二階建てだったが「女房と二人だ。これでいい」はともかく「名古屋に大きなマンションを持っている」とまで言わなくてもいいのに。
真夏にもタートルネックのアンダーシャツを着込んだ。「人間は首筋に年齢が出る。投手交代でマウンドに上がるとき、テレビに映るだろう。その時年寄りに見られたくない」と最後まで頑張った。後ろポケットにはしっかり、シッカロールが入っていた。赤ん坊じゃあるまいし。
クラブに飲みに連れて行ってもらった。銀座ではない。自由が丘のガード下だった。はやりのブランデーが好みで高価なシップボトルにマジックインキで「男」と書いてあった。中身はウヰスキーで、飲み干すと詰め替えていた。つまみを頼んだら近くの店から餃子が届いた。「この餃子な、具だけでも10種類以上ある」が自慢だった。キャビア食わせるって言ったじゃないか。
シーズン23勝をあげた巨人時代、多摩川の合宿所近くで進駐軍のジープにはねられた戦中派。右手中指の腱を切断し、3本指投法を編み出した苦労人だった。その指を使って原稿を書いた。ナゴヤ球場(当時)の記者席で、鉛筆を文字通り舐めながら、ウンウン唸りながら記事を書いた。お付きの記者への口述筆記で事足れりとする評論家の中で、異色の人だった。「だって自分の原稿でしょ。自分で書かな」と胸を張っていたが、原稿の仕上がりが遅くて、締め切り時間の守れない「近藤貞雄」コラムは時々翌日の紙面に載らなかった。
だからこそ「男」近藤貞雄は魅力的だった。中日監督時代の「野武士野球」、足の速い選手を集めた大洋「スーパーカー・トリオ」、攻撃と守備でメンバーを替えた「アメフト野球」。すべてが独創的だった。年末に亡くなった仰木彬とはスタイルは異なるが、野球に対する執念はつながっている。
座右の銘は「七転び八起き」。9日の通夜に、棺桶からむっくり起きあがってくるのではあるまいか。

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