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新聞に載らない内緒話

「場」の文化
              
 先日大阪へ出張に行ってきた。駅構内で気が付いたことをひとつ。
 昔は阪神戦、春夏甲子園取材で何度も出かけた街だが、久しぶりということで、すっかりお上りさん(東京を起点にすればお下がりさんかな?)状態。行き先への電車がわからず、駅員さんに「○○行きの電車は何番線ですか」と尋ねるのだが、返事はいつも、
 「何番乗り場です」
という訂正される。「乗り場」という言葉に、妙に郷愁をおぼえるのだが、電車内のアナウンスを聞いていても、
 「乗り換えは何番乗り場」
である。大阪在住の、知人に聞いてみたが、「昔から『乗り場』ですよ。東京は『線』ですか」と不思議がられた。
 東京も昔は「乗り場」と言っていたような気もするが、今はもっぱら「線」である。
 「つまり、東京って街は『場』がないんじゃないのかな。いつも気ぜわしくて、目的地に一直線に向かわないと気が済まないような」というのが大阪人の感想である。
 なるほど、東京には「場」がないな。
 多くの人がかたまって、共生する。お互いの違いを認め合いながら共存する。そんな「場」、空気がこの街にはなくなってしまったような気がする。
 発想はいつも直線的で、スピード感はあるが、その分、ついてこられないものは切り捨てられる。
 残されるのは「孤独」と、それに伴う閉塞感だろう。
 「子どもたちには遊び場がない。盛り場は化粧まみれの女子高生で一杯だし、大人は日常からの逃げ場がなくて、どこにも行き場がない。空気の読めない、場違いな人間ばかり」はいささか辛辣だった。
 大阪もいずれそうなるんでしょ、と友人はため息をついた。
 せめて、「『場』の文化だけは、大阪に守ってもらいたいね。あの、ごった煮のような大阪が、東京にはない香りのような気がするよ」
そう、お願いをしておいた。

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