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新聞に載らない内緒話

稲尾和久さんのこと

西鉄ライオンズの稲尾和久さんが亡くなった。11月13日、享年70。病名、悪性腫瘍。
 早朝、ベッドの中で、ふとスイッチを入れたラジオのニュースで訃報を知った。
 稲尾さんと最後に会ったのは2年前、季節は晩秋であったか、初冬であったか。
福岡は小倉。フグ料理を食べに行った。もちろん他の人間も多数おり、直接的な面識の薄い私は、その他大勢といった形で、その豪快な話っぷり、食べっぷりにおつき合いしただけである。
 以下の話は関係者からの伝聞として書く。記憶違いだったらご容赦ねがいたい。
 稲尾さんがロッテの監督を引き受けたのは1984年(昭59)だった。弱小球団をあえて選んだのは、九州にプロ球団を誘致するという深慮遠謀ゆえであった。それはともかく、当時のロッテはいかにも弱く、不人気であった。だから鹿児島で、春季キャンプを張ってもファンの関心は薄く、新聞もその練習ぶりを大きく報道することもなかった。巨人一辺倒の時代である。
 ある時、稲尾監督は数少ない担当記者を集めて、こう言った。「あした、とんでもない練習を行う。期待しておいてくれ」。
翌日、グラウンドを訪ねると内野部分に、なんと波形トタンが敷き詰められている。おり悪く大粒の雨まで落ちてきて、とても練習というムードではない。
 「さぁ、やるぞ」と稲尾監督が持ち出したのは、ノックバットで、ナインがトタンの上に散らばり守備練習が始まった。打球は左右に散らばり、選手はボールを追う騒ぎではない。あっけにとられる担当記者を前に、たった数分でこの練習は終わった。
「どうだ、イレギュラーする打球を克服する練習だ」。
 そしてこうも言った。
 「これで原稿ができたろう」。
 悪天候は鹿児島だけではなく、キャンプを張る宮崎、沖縄も同様だった。各球団が早々に練習を終え、担当記者が原稿を書くにはどこもネタ不足だったが、ロッテの記事だけは久しぶりに大きな扱いを受けた。選手にやり投げをさせたり、トリッキーな練習も目についたが、それも「ファンに関心をもってもらわにゃ」というサービス精神の賜だった。
 その稲尾さんが亡くなった。
 「海の住人、海から出て海に帰る。山の住人、山から出て山に帰る」と言った。
そして「神様、稲尾様」は「仏様」になった。
鉄腕は、彼岸へ帰っていった。

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