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新聞に載らない内緒話

即効性か、持続性か              

 昭和55年秋。後に巨人監督となる藤田元司は中央高速道を西北西へ、愛車ベンツを飛ばしていた。行き先は長野県茅野。川上哲治、王貞治のそれと同じ敷地内にある、別荘へ休暇を過ごすためである。シーズンもほぼ行方が定まり、評論家としての仕事もひと段落した。ネット裏の解説があるとすれば日本シリーズだけである。つかの間の骨休み、のつもりだった。

当時普及し始めていた車両電話が鳴った。電話の主は読売関係者、監督就任要請である。藤田は車を反転させ、東京・大手町の球団事務所(当時)へ向かう。巨人は3年連続で優勝を逃し、誰もが信じはしなかったが「長島解任」は時間の問題だった。曲折はあったものの藤田元司は監督就任を了承する。「巨人軍を立て直して欲しい」という要請を断る理由はなかった。

この時の巨人(読売)にはまだ「理性」というものが残っていた。決して有名人ではない藤田元司に白羽の矢を立てた。王貞治は引退を決めたばかり。人気を重視するならば「王監督」がファンのニーズであったろうし、実際視聴率も安易に稼げたはずだ。その王貞治を帝王学の名のもとにさほど重要ではないポスト、助監督に据え、要(かなめ)のヘッドコーチには牧野茂をあてた。巨人再生だけを主眼に監督人事を行った。名より実を取り、強くなることが結果、球界のため(球界発展のため、とはあえて書かない)になることも知っていたからである。

 さて、平成17年は8月半ばにストーブの火がついた。日刊スポーツが巨人の次期監督候補に星野仙一が挙がっていることを伝えたからだ。以後の経過は新聞が書いているとおりである。最終的な着地点はこの原稿を書いている9月4日時点では見えないが、もし星野仙一が監督に就任するならば、巨人にとって起死回生の人事と言うことになる。世間の注目はもちろんだが、史上最低といわれる野球中継の視聴率も急速に回復することだろう。  

ただ、それが低迷する球界の立て直し策になりえるだろうか。改革は昨年、ストという荒療治を経ながらも遅々として進まない。たとえ巨人が強くなってももはや球界全体の発展にはつながらない。先送りしてきた諸問題がにっちもさっちもゆかない状態になっているからだ。一方、星野仙一という有能な人材はその采配に即効性はあっても持続性がないことは、過去のキャリアが物語っている。球界の行く末もまた、失礼な物言いだが、なにやらかぶって見える。「星野巨人」に浮かれている間は、という意味である。


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