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新聞に載らない内緒話

古橋広之進さん死去

「フジヤマのトビウオ」古橋広之進さんが亡くなった。8月2日、滞在先の、ローマでの客死であった。
実は2004年(平16)9月の、このコラムで私はこんな原稿を書いている。一部抜粋してみたい―。
                          ◆
その昔、古橋広之進さんにインタビューする機会を得た。終戦直後、「フジヤマのトビウオ」のニックネームで数々の世界記録を樹立した、その人である。水泳パンツの下にふんどしを締め、泳いで泳いで泳ぎまくった。その結果「頭の先が流線形になった。水をかき分けるように、魚の頭のように尖って、手も、指の付け根に水かきのような膜が出来た」。嘘のような話しだが本当である。
 8月22日付(注=当時)の産経新聞にこんな記事が掲載されている。「不徳な、つたない私をお許し下さい 敗退の古橋広之進選手」の見出しに目を引かれ読み始めた。1952年(昭27)のヘルシンキ五輪四百メートル自由形で8位に終わった古橋さんが、現地から日本へ向け一通の手紙を投函した。敗退を嘆く文面が続く。
 「悲しみに泣かざるを得ません。それにも増して一番つらいのは皆様のご期待の何物にもそい得なかった事です。どうぞ宿命と思ってこの不徳なつたない私をお許し下さい」
 「今後は立派な人間として頑張るのみです。西高(古橋さんの母校=旧制浜松第二中学校)からも立派な選手の出現を待ち、この仇(かたき)をとってください」
 武器のない戦争、とは五輪の事だが、この文章を読んでいるといかに当時の選手達が国の名誉を背負って戦っていたか、ひしひしと感じさせられる。64年の東京五輪で銅メダル、しかし自ら命を絶った円谷幸吉さんといい、その重圧は計り知れないものがある。
 ―ところで、流線形になった頭はその後、どうなりましたか?
 古橋さんにお尋ねした。
 「人生の荒波をくぐっているうちに、いつの間にか頭は丸くなってしまいました。歳をとりましたからね。考え方も丸くなりました」―。
                         ◆
このインタビューは日刊スポーツに入社してからのものではない。学生時代、大学新聞に携わっていたときにお願いして取材させていただいた。1975年(昭50)前後の話である。  
もっとも、今回の訃報を伝える日刊スポーツを読むと、古橋さんは少しも「丸くはなって」いなかったようである。「選手はテレビなんかに出ちゃイカン」「チャラチャラした格好で、勝てるわけがない」と頑固親父そのものであったようで、「丸くなった―」とは当時の方便であったようだ。
武骨な、大きな顔を思い出す。冥福を祈りたい。


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