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新聞に載らない内緒話

阿武松余聞
              
 以前なら「阿武松」と書いて、すぐに「おうのまつ」と読めたのは相撲ファンか、落語好きだけであったろう。
 六代目三遊亭円生が時折、「阿武松」を高座に掛けた。こんな具合の噺だった。
 能登の国から長吉という男が相撲取りを目指して上京、武隈文右衛門という関取に弟子入りし、小車というしこ名をもらった。この小車、あまりの大食のため悲鳴を上げた部屋からすぐに破門、手切れ金として一分の金を渡され、放り出された。大食が原因で破門とは何ともふがいなく、いまさら恥ずかしくて国にも帰れない。
そこで長吉、手許に残った一分の金で今生の食い納め、後は川に身を投げて死のうと決心する。橘屋善兵衛という旅篭に一泊するが、その食いっぷりに驚いた善兵衛が事情を聞くと、かくかくしかじかで明日にも死ぬという。同情した善兵衛は根津七軒町の錣山(しころやま)喜平次という親方に長吉を預け、代わりに出世するまでの間、月に五斗俵二俵ずつ食いぶちを送る約束するが、錣山はそれには及ばぬと長吉を弟子にして小緑というしこ名を与える。
 この小緑、とんとんと出世し、入幕して小柳となり文政五年、蔵前八幡の大相撲でかつての師匠、武隈と対戦する。この立ち会いが長州候の目に留まってお抱えとなり、さらに阿武松としこ名を変え、のちに大横綱となる。
 かつての親方とタニマチの心意気をうかがわせて、何とも粋な噺だった。
 最近は「阿武松」と書いても、誰もが読める。この名を掲げた部屋が、野球賭博の舞台となったからである。
 力士とひいき筋、つまりタニマチとの関係が問題になっている。先日、ある相撲ファンと話をする機会があった。元横綱の断髪式に出席するというその人は「土俵に上がって、断髪のためのハサミを握るだけでも金がかかるんだよ」と笑った。襟元の、髪一本ハサミをあてるだけで1万円、「髷の、根元付近を断髪するなら100万円のご祝儀を包まなければ、ね」と言う。
 真偽はともかく、とかく力士の周辺は金がかかる。タニマチは一種のステータスで、近ごろはIT関係者の羽振りがよい、とも聞いた。力士を引き連れて豪遊するのだそうだ。
そんな風景は今も昔も変わりがないのだろうけれど、根本的に異なるのは落語「阿武松」にある、橘屋善兵衛のような「相撲を育てる」という意識が微塵もない、ということだろう。  
もちろん親方衆もしかり、である。

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