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新聞に載らない内緒話

都会の、教訓

 サラリーマンの多くは経験されたことであろう。3月11日の、東日本大震災の夜のことである。
 午後10時すぎ、仕事に区切りをつけ、東京・築地の小社を出た。宿泊の用意はあったが、自宅のある蒲田(東京の最南部、多摩川を越えれば川崎だ)まではさほど遠くはない。距離にして十数㌔であろうか。徒歩による帰宅を目指した。
 日ごろ散歩好きで、自宅から品川あたりまではしょっちゅう歩いていたし、道も国道15号を南下すれば到着できる。熟知した道のりなのだ。
 数字をあげておく。2008年(平20)に中央防災会議が発表した「帰宅難民」に関するシミュレーションである。東京湾北部を震源にマグニチュード7・3の地震が平日昼に発生した想定で、都心部から郊外への帰宅者中、3時間以上歩く人が201万人。人であふれた繁華街の、通過時間は1時間あたり400㍍と試算され、道路は1平方㍍あたり6人という満員電車並みの混雑になる。
 自宅まで20㌔以上離れている人は帰宅を諦めるのが〝常識〟だ。災害時は実際の地図上より倍以上の距離感があるからだ。路上はガラスが散乱し、橋は落ち、歩道橋は倒壊しているかもしれない。夏なら熱中症の不安が伴い、夜間はもちろん明かりはない。それでも歩くならハイヒールは脱ぎ捨て、スニーカーで足を固め、食料、水は必携だ。
 もちろん今回の、11日夜の東京は条件が甘い。
 さっそく歩き始めた。築地から朝日新聞東京本社脇を抜け浜離宮、海岸通りから品川で旧東海道へ入る。深夜にもかかわらず多くの人が歩いている。街灯は明るく、高層ビルには帰宅を諦めた社員がいるのだろう。煌々(こうこう)と光を放ち、心強いが、直下型災害時の暗闇では到底歩けないし、方向も失う。例えば北斗七星で北を確認するのだろうが、雨天、曇天ではなすすべもなかろう。
 大渋滞で車は全く動かない。幹線はもとより、小道も車があふれている。一体この深夜に1人乗りの乗用車がどこへ行こうとしているのか。
 「災害時のマイカーは一切禁止。代わりに無料バスの運行で〝帰宅難民〟の足を確保する。公道は緊急車両だけを認める。なぜ政府はこのようなルールを法制化しないのか。駅はシャッターを下ろし、寒風に人をさらす。何を考えているのか全く理解できない」と後日、電話をくれたのは地震研究家で、台湾・南台科技大学客員教授の戴峰さん(52)だった。
 とあれ、3時間半ほどかかって自宅に着いた。午前2時近くになっていた。
 後で聞くと、駅前の量販店で売っていた安価な自転車が深夜にもかかわらず、飛ぶように売れたという。
 大地震が与えた、都会の教訓である。

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